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『真澄探当證』は雄略天皇から逃れた億計王(仁賢天皇)と弘計王(顕宗天皇)の兄弟が真清田神社神主の叔父を頼って尾張一宮へ亡命し、弘計王と豊媛の間に男大迹(継体天皇)が誕生。乳母夫妻(後の物部氏の祖)とともに岐阜県の根尾村に隠れ住み、後に都に迎えられ継体天皇として即位するまでのお話です。 真澄探当證ゆかりの神社や土地などを訪ねたりします

真澄探当證5.市辺押磐皇子主従、大泊瀬幼武尊(雄略天皇)により殲滅

真澄探当證5.市辺押磐皇子主従、大泊瀬幼武尊(雄略天皇)により殲滅

 

大泊瀬幼武尊(雄略天皇)たち一行は、市辺押磐皇子主従の様子を探り、

大泊瀬幼武尊の従者は市辺押磐皇子の出発をいち早く大泊瀬幼武尊に注進したので、

この報告に接するや否や、大泊瀬幼武尊は俄かに、兵士達を激励し、

市辺押磐皇子主従が到着したらすぐに襲撃をかけ、圧倒し木端微塵に打ち砕こうと、かねてより計画した予定地に陣をしいて、準備万端調えていた。

 

このような険悪な謀略が企てられているとは知る由もない市辺押磐皇子主従は、

約束通り暁方に間近い時間に予定地に向けて進んでいた途中に、素早いスピードで射る矢を一斉にいられ、

まさに百の雷に撃たれたように、瞬く間に討ち死にする者が多く、

この時市辺押磐皇子は、大泊瀬幼武尊の謀略に陥ったことを初めて悟り、

乗馬のままあたう限りの大声で臣下たちに向かって

 

「予は大泊瀬幼武尊の計略に陥った。このままでは殲滅するだろう。

お前たちのうち誰でも、この場を遁れて早く我が邸内に状況を報告せよ」

 

と声を限りにお叫びになった。

 

この時四方から射かける矢が早いので、臣下一同は主の身が危険にされされているため、

「御下馬なさいませ」と宮様に奏上する声が、臣下一同より続いていた。

 

しかし、市辺押磐皇子は、この時に敵の矢に当たり、ご落馬なさった。

この時、臣下の佐伯部売輪は急いで駆け付け、皇子を抱いて、そのまま背負って、敵前より避難しようとしたが。

四方より矢を射かけられる強い矢や遠くからの矢は数限りなく、

かつ今回は狩猟が目的であったために、武装もしておらず、ご親戚とお会いになるというので、

気楽な遊びの心持でいたため、突然の襲撃に遭って、

このような謀略の企てがあるのは前々から計画していたのだと、初めて悟ったのだった。

 

市辺押磐皇子主従はよく防戦し、よく戦ったが、矢尽き、多勢に無勢で対するは困難であり、

終に殲滅させられ、惨殺されたのであった

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