真澄探当證10 村人は市辺押磐皇子主従の遺体を捜索
この時参加し、市辺押磐皇子の命を助けるのが姥久手の多くの村人は、負傷兵が語る通りに戦場に赴き、市辺押磐皇子主従の遺体を各所捜索中に、殲滅した宮宅従者の遺体がここかしこに散在していた。
たた、不思議なのは、市辺押磐尊および侍従長の佐伯部売輪(さえきべのうるわ)の遺体が判明しないので、敵兵が奪取していったか、いち早く遁れて去ったか、生死不明だと思った。
伏拝村と助命村と名称
だか、田舎人は、遺棄してあった遺体を全部集めて、よく主に尽くして戦死を遂げた士卒であるので、懇ろに埋葬をした。ここにおいて、さきにここに宮宅を伏拝み、懇ろに葬式を行った村を伏拝村(ふしおがみむら)と名付け、この地を助命村(ぜみょうむら)と名付けた。これは村の勇敢なものが全員で、宮宅主従の一命を助ける目的で馳せ参上したという意味合いに基づいて、この名を付けた。現在の大和国(奈良県)山辺郡伏拝村と助命村のことである。
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