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『真澄探当證』は雄略天皇から逃れた億計王(仁賢天皇)と弘計王(顕宗天皇)の兄弟が真清田神社神主の叔父を頼って尾張一宮へ亡命し、弘計王と豊媛の間に男大迹(継体天皇)が誕生。乳母夫妻(後の物部氏の祖)とともに岐阜県の根尾村に隠れ住み、後に都に迎えられ継体天皇として即位するまでのお話です。 真澄探当證ゆかりの神社や土地などを訪ねたりします

真澄探当證10 村人は市辺押磐皇子主従の遺体を捜索

真澄探当證10 村人は市辺押磐皇子主従の遺体を捜索

 

この時参加し、市辺押磐皇子の命を助けるのが姥久手の多くの村人は、負傷兵が語る通りに戦場に赴き、市辺押磐皇子主従の遺体を各所捜索中に、殲滅した宮宅従者の遺体がここかしこに散在していた。

たた、不思議なのは、市辺押磐尊および侍従長の佐伯部売輪(さえきべのうるわ)の遺体が判明しないので、敵兵が奪取していったか、いち早く遁れて去ったか、生死不明だと思った。

 

伏拝村と助命村と名称

だか、田舎人は、遺棄してあった遺体を全部集めて、よく主に尽くして戦死を遂げた士卒であるので、懇ろに埋葬をした。ここにおいて、さきにここに宮宅を伏拝み、懇ろに葬式を行った村を伏拝村(ふしおがみむら)と名付け、この地を助命村(ぜみょうむら)と名付けた。これは村の勇敢なものが全員で、宮宅主従の一命を助ける目的で馳せ参上したという意味合いに基づいて、この名を付けた。現在の大和国(奈良県)山辺郡伏拝村と助命村のことである。

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