About this blog

『真澄探当證』は雄略天皇から逃れた億計王(仁賢天皇)と弘計王(顕宗天皇)の兄弟が真清田神社神主の叔父を頼って尾張一宮へ亡命し、弘計王と豊媛の間に男大迹(継体天皇)が誕生。乳母夫妻(後の物部氏の祖)とともに岐阜県の根尾村に隠れ住み、後に都に迎えられ継体天皇として即位するまでのお話です。 真澄探当證ゆかりの神社や土地などを訪ねたりします

真澄探当證8 近江の国の商人が市辺押磐皇子主従を助ける

 真澄探当證8 近江の国の商人が市辺押磐皇子主従を助ける

 

この時、大泊瀬幼武尊(雄略天皇)主従は、予定通り市辺押磐皇子主従を惨殺して、

目的を達したといえども、今だに市辺押磐皇子と侍従長の佐伯部売輪(さえきべのうるわ)らが生死不明のため、

ここかしこと捜査中に、ついに主従が深手の傷を負い、そのまま倒れているのを発見して、大いに喜び、主従の首を刎ねて持参するより、そのまま体ごと拉致しようと、包囲したところに、

逃げた市辺押磐皇子の乗馬が駆け戻って、包囲していた敵兵めがけて蹴り飛ばす勢いで、実に優れた勇将も及ばぬ唯一無二の働きをして、これに困った大泊瀬幼武尊の臣下群臣兵卒は、市辺押磐皇子主従を捨ててそのまま退散した。

この時、ご乗馬は主をもう奪い去ろうとする時に、猛烈に敵兵を追いちらし、続いて主従の傍らにぐるっと周りを囲んで守護することは、以前のごとくで、四方を眺めて守護に余念がなかった。

 

この有様を見ていて、馬のあとをつけてきた近江商人らは非常に感心して、

獣といえども主に尽くす忠孝は普通の人が及ぶところにあらず。

ならばこの乗馬の主人は、この負傷者であろうと話しつつ、しかし旅の商人は皇子であるのを知らず、ただ種々の装飾品が見事であるので、相当に名のある武将であろうと想像して、

もしや我らがこの土地を遁れて、自分達の本国で介抱して養生させれば、蘇生して回復し、再度また戦えるようにもなろうと、二人は共に皇子たちを助けようと決心した。

広告



© 真澄探当證を読む All rights reserved.. Powered by Blogger.