真澄探当證15 市辺押磐皇子の乗馬が帰宅し池に転落死
西暦444年、甲申(きのえさる)八月八日の未明の五時ごろ、
弟宮の御馬皇子が前触れもなくお一人でいらっしゃって、市辺押磐皇子邸をご訪問なさり、
続いて四方山話から今上天皇の安康天皇の殺害変死及び大泊瀬幼武命の御謀略の企画、
天皇位奪取の目的で、市辺宮の誘拐に至るまでのご想像でのお話を拝聴した。
市辺宮の姫宮はじめ臣下一同の辛い胸中は想像出来ないほどである。
もしや弟宮の想像通りの場合、どうしようかと臣下上下驚き恐れるのであった。
我が君の安否の報告が来るのを待った。
この時、市辺宮の御乗馬は、主人を近江商人に託し、
遺物(形見)の皇子がお付けになられていた冠を素早く咥えて帰宅した。
しかし、兵達の包囲を受けて、八方より射られた矢に当たり、流血が滴り落ち、負傷は数え切れないほどであった。
とうとうびっこを引くようになり、三本足で傷んだ足のまま、ようやく帰宅した。
だが、遠距離でひどい傷に耐え難いと雖も、一旦記念の遺物と考え、
畜生ながら人も及ばぬ仕事であり、冠はそのまま咥えて来た。
市辺宮の邸内の東南に泉水の池があった。
その池の上りに切戸から通り抜け用の小路があった。
いつもこの小路を通るのに慣れていたため、負傷の酷い体を顧みないで、
いつものように通り抜けようとして焦って、
通る際に、誤って三本足のために、墜落死した。
この時滑り落ち、斃れる際に誤って咥えてきた冠を離したために、
冠は池の水に浮かびつつ風に揺られ、岸に吹きつけられていた。
しかし、冠の正面についていた日月を形採る明鏡はその前に堅く咥えて数里を来るうちに、
終に緩んで壊れたため、池底に沈んだ。

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